金曜日, 9月 19

内容のある英語

最近読んでいる本の中に、二つの祖国を愛する人の複雑な気持ちを巧みに表現した印象的なワンシーンがある。
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「ではもし、日本の軍隊へ入ったあなたの弟と、アメリカの軍隊へ入ったあなた自身と、戦線でぶつかった場合、あなたは弟を銃で撃ち殺すことができますか」

 賢治のアメリカ合衆国への忠誠を試すような聞き方をした。賢治の脳裏に、二つの国に別れて、相戦う自分たち兄弟の姿がうかび、胸迫った。

「弟を撃つことはできない、たとえ殺されても撃つことはできない」
 体の中から絞り出すような声で云った。

「では、アメリカ軍と日本軍とが三百メートルの距離で向かい合ったとき、あなたはどうするか」

「もし、私が戦線へ出なければならぬ時は、日本軍と銃火をかわさずにすむヨーロッパ戦線を志願します」

「それでも、なおかつ、命令によって、日本軍とアメリカ軍が、相対峙(あいたいじ)したとき、あなたはどうするか」

 軍服の審問官は、重ねて聞いた。賢治の額に汗がにじみ、そのような質問を発する相手に激しい怒りを覚えた。

「審問官ご自身が、ヨーロッパ戦線で兄弟や親せきと戦わねばならない立場に立った時、銃を向けられますか」
 軍服の審問官は、ぐっと言葉に詰まったが、司法省関係らしい審問官が体を乗り出した。

「では、あなたの祖国は?」

 とっさに答えられなかった。それは血肉を分けた兄弟が二つの国に別れて戦えるかという質問以上に、賢治の心を微妙にゆるがせた。賢治の瞼に、酒巻少尉の痘痕(あばた)面がうかんだ。タバコの火で顔を焼いてまで虜囚(りょしゅう)の恥辱から逃れようとした姿は、一つの国に殉じる人間像であった。

「どうしましたか、なぜ答えられないのです?」

「――血のつながり、民族的な意味では、日本が父祖(ふそ)の国ではありますが、私の国籍はアメリカであり、私の祖国はアメリカ合衆国です」

「では、あなたはアメリカ合衆国に対し、絶対の忠誠を誓えますね」

 畳みかけて来た。賢治は、窓の外に翻(ひるがえ)る星条旗に視線を向け、

「アメリカ国籍を持つ日系二世の私が、日本人の子孫であるという理由だけで逮捕され、この軍キャンプに入れられたことは、ショックです――、アメリカ合衆国に裏切られたという、名状し難いショックです、そしてこの軍キャンプで、民間捕虜として、毎朝、星条旗を見上げる気持ちはどんなものか、到底、お解りいただけないでしょう・・・・・・、忠誠を疑われたり、試されたりすることなく、一つの国、一つの旗に忠誠を尽くすことができれば、どんなに倖せかと思います」

 時々、言葉につかえたが、日系二世の苦渋に満ちた賢治の切々たる言葉は、審問官たちの心を搏(う)ったらしく、しんと静まりかえった。

「あなたの答えは、正直でした、そしてあなたの英語は、内容のある英語でした」
 中央に坐った軍服の審問官が云った。


 賢治は、審問(ヒアリング)が行われて五日目の朝、突然、釈放された。

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